Rhoda Scott

  昨年の11月19日、8人のジャズのオルガン奏者が「All Star Jazz Organ Jam Spectacular」という一つのショーにブッキングされました。それはNewark、New Jerseyで年一回、伝統的なスタイルで行われている1週間のジャズ・フェスティバルの最終日でした。このイベントの司会者として、私は何人かの私の大好きなミュージシャンと会う機会をえました。かれらは、西海岸で活躍するミュージシャンです。この6時間のショーの終わりまでに、すべての予定されたオルガン奏者と観客の中にいた8人の予定外のオルガニストをすべて野外音楽堂ステージに連れだしました。それはショーの休憩時間でしたが、出席したすべての人に甘い思い出を提供したと思います。

  Newarkのジャズ遺産に貢献したことに対して、"Little" Jimmy Scottはフェスティバルの年間功労賞を受け取ることになっていました。そして私はプレゼンテーションの後にジミーが二つの曲を歌いたいと望むであろうことを知っていました。私は同じく Rhoda Scottが聴衆の中にいて、もし彼女がステージ上に来て、そしてJimmyと共演したなら、我々は何年もの間、その話しをするであろうことを知っていました。丁重に、 Rhoda はやって来て演奏し、Jimmyが彼独特の方法で歌いました。彼らのフレージングとインプロビゼーションのスタイルはユニークに結合されました。Rhoda のその晩のライブを聴いたことは、かつて誰かが借りていた古い花瓶が本来の持ち主のもとに戻るのを目撃したような気分でした。その晩あとで、私は個人的にJimmyとの共演という貴重な時間を与えてくれたことに対して彼女に感謝の言葉を述べました。そして彼女から、これが彼らの最初の共演ではなかったということを伝えられました。「私は前にJimmy Scottと共演しました。」と彼女が言いました。多分30年前に、私たちはよく共演し、彼と演奏することはとても好きでした。なぜなら、彼はあのようなフレージングを持っていて、最初は私を振り捨てるのですが、私がそれに慣れてくると、彼と演奏するのにわくわくしました。」 Rhoda は歌も唄って、本当にボーカルとオルガンのミックスを楽しみました。「Jimmyは、美しいフレージングをし、オルガンはただ単にフィルインをして、いたるところでフィルインをして、これはすごいエクササイズでしかもやっていて楽しいんです。」

  60年代半ばから、 Rhoda はフランスのパリに住んでいて、そこで彼女はヨーロッパのジャズ愛好家のために演奏し、録音しました。世界をリードしているジャズ・オルガン奏者としての彼女の評判は、ヨーロッパで常に告知され、今ハモンド・グルーブに目覚めたアメリカのジャズファンの注意を引いているかもしれません。Newarkでの彼女のルーツによって、彼女はジャズオルガンの豊かな、そして多彩な歴史と近代音楽におけるオルガンの汎用性を知っています。「オルガンは、それぞれの人が望むどんなことでもできると思います。オルガンは、一つの楽器でもありビッグバンドでもあります。それは演奏するのがとても難しい楽器にもなりますし、スムーズで、メローでソフトな楽器にもなります。それはほぼどんなムードにも設定することができて、ほぼどんなリズムあるいはスタイルでもプレーすることができます。オルガンは存在する楽器の中で最もすばらしいものの1つです。」

  Rhoda は、適切な演奏方法を父親の教会で学びました。すなわち、すべての機能を使ってフル・オルガン・サウンドに到達します。今日に至るまで、 Rhoda は左手ベースに頼ることなく、たまにアクセントでペダルを踏むことでもなく、フットペダルだけを使ってベースラインを演奏しています。この技術によって、彼女の左手は解放され、右手がメロディーやソロを演奏する間に、左手で変化のある和音を弾くことができます。彼女は、仲の良い音楽関係の友人の助けを借りることで、教会からジャズまでこのクラシックなスタイルの橋を渡しました。「このことに関しては、二人の人に多くのクレジットを与えたいと思っています。私が最初に聴いたオルガン奏者は、Richard "Groove" HolmesとTrudy Pittsでした。Grooveは、New JerseyのCamdenのクラブでの練習セッションに私が行くのを認めてくれました。そして、彼が練習しているところに私を座らせて、ストップを引いてこう言いました。もし、ホーンが欲しいのであればこうすればいいのです。もし、他の音が欲しいのなら云々・・・。そして、Trudy Pittsには、よく代わる代わる演奏させてもらいました。私はシットインすることは望まなかったのですが、彼女の夫であるMr. Cが私を連れ出して演奏させました。彼とは大いに話をして、多くのヒントをもらいました。たとえば、「もしベースを弾きたいのであれば、このようにしなければならない・・・」 そして、今日に至るまで、フランスで私が若いオルガン奏者に会う時は、できるものは何でも彼らに伝えています。もちろんこれは、主にMr. C、Trudy Pitts、Richard 'Groove' Holmesの影響です。」

  Rhoda のホームタウンはオルガニストの宝庫であり、多くは録音を残しませんでしたが、この国のジャズ・オルガン教育の設立を文字通りに行った人々です。Newark、Philadelphia、New Yorkならびに大きな街のオルガニストは、お互いから学びあって、いわゆる「Soul Jazz」のための「るつぼ」を形成しました。Rhoda が容易にこの時代を思い出して、「25年あるいは30年前、すべてのクラブにオルガンがあったころ、オルガンのバトルと呼ばれていたことを行いました。4、5人のオルガニストが1台のオルガンを代わる代わる演奏するのです。それぞれの奏者は他の奏者をしのごうとしていました。それはとっても楽しいものでした。本当の競争意識はなかったんです。オルガン奏者には、他のオルガン奏者への感謝の歴史があります。これを一つの理由として、これらの親睦会はうまく行きました。なぜなら、オルガン奏者は、他のオルガン奏者が好きですし、お互いの演奏を聴くのも好きだからです。私たちは、誰かが見つけたオルガンに関する新しいアイデアが好きですし、みんなそれに対して幸せを感じますし、私は、オルガン奏者には、同胞愛があると思います。」

  彼女の新しいレコーディングが発表される寸前なので、訪米の回数は増えるかもしれません。私が彼女と話をした翌日に、彼女は、Houston PersonとGrady Tateと彼女の新しいアイデアをレコーディングするために、Rudy Van Gelderの有名なスタジオに入りました。Muse レーベルから出るセッションでは、ハモンドオルガンの本物のトーンホイールサウンドと信念を越えたスイングが戻ってくると記述されています。ヨーロッパのジャズマーケットは Rhoda がハモンドの派生物、すなわち、B-3000と最近のハモンド鈴木のXB-3を演奏している多数の Barclayのレコーディングを目立つように示しました。私はRhodaが、すべてのモデルに感謝しているけれども、とりわけ本物にまだ夢中かどうかを探ろうとしました。「フランスでは、XB-3でツアーにでています。XB-3には、すばらしい部分がたくさんあります。テクノロジーに関する限り、多くの進歩がありました。不幸にも、テクノロジーを好きではない多くの人がいます。その人たちは、むしろB-3が構成するすべてを持ちたいのでしょう。」 B-3の特異性の価値については認めていますが、Rhodaは、トーンホイールオルガンのデザインが、新しい先進的なキーボードの設計を阻害していると考えています。「これを死に至らしめて、それに甘んじるとは感じませんよね。B-3なら可能で、B-3が良くしていることですが」 Rhoda の音の大部分がベーステクニックから来ることを思い出せば、新しいオルガンのペダルの技術による進歩をなぜ彼女が熱心に望んでいるかを理解することは容易です。「もしあなたがペダルを演奏して伴奏のためにあなたの左手を使うことを望むなら、ペダルだけでプレーできるような、新しいサウンドやシステムを必要とします。」

  我々は現在オリジナルのハモンドオルガンの音の本当のルネッサンスを楽しんでいます。Rhoda スコットは、これについて最高に興奮しています。彼女の最も新しいレコーディングは、疑いなく彼女が大好きで見事に演奏できる音楽の新しい興味を刺激するでしょう。彼女が長い間、海外にいるにもかかわらず、彼女はアメリカン・ミュージックに属し、私たちの彼女の芸術に対する愛と関心は力強く、彼女は話題に上り、全米で共有されるべきです。彼女は次のように言っています。「毎年、オルガン・ジャムがあれば、どんなことがあってもNewarkにいようと思います。その一部になりたいと思います。そして、いつもここにいて、演奏するためではなく、聴くためにここにいて、私のバイブレーションを他のオルガン奏者に提供し、みんなが一緒にいて、声援しあうためです。」

Pete Fallico − 1996年12月

 
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